韓国の大法院判決を考える

日韓の争点はなにか

いま日韓関係は国交正常化以来最悪の状態と言われている。その契機は韓国大法院が昨年10月30日に行った判決である。第二次大戦末期の徴用工に対する慰謝料は未解決として、これを認める判決であった。日本政府は、戦後の日韓国交正常化に際して、1965年に締結した「日韓請求権協定」(以下では「請求権協定」とする)で、この慰謝料問題も解決済みであるとし、日韓間の争点となった。それ故、この問題について考えてみたい。

請求権協定の交渉で、韓国政府は、1910年の「韓国併合条約」は最初から無効であり、日本の朝鮮統治は不法・不当な植民地支配であったから、それと関連する慰謝料も支払うべきであると主張し、これを含む8項目の要求を提示した。これに対し日本政府は、朝鮮統治は両国の合意で結んだ条約による合邦であり、不法な植民地統治ではなかったと主張した。この歴史認識の違いは1951年に始まった交渉の中では解決せず、最終的には日韓基本条約の中で「韓国併合条約」は「もはや無効」という文言で妥協し、棚上げされた。

請求権交渉の中で韓国側は12.2億ドルを要求したが、日本は無償3億ドル、有償(貸与)2億ドルが上限と主張、この線で妥結することになった。交渉では徴用工への未払い賃金や慰謝料についても議論されたが、請求権協定では3億ドルの内訳は不明確なまま、韓国が提示した8項目に関してはすべて解決済みとして協定が締結された。

日本政府は国内では、この金は賠償金ではなく、韓国の独立祝い金であり、経済協力であると説明した。

日本政府の歴史認識の変化

それ以後、東西冷戦の終結、韓国の民主化、日本の自民党の政権離脱など、国際情勢や日韓両国の政治状況にも大きな変化があった。また、日本と朝鮮半島の近・現代史の研究も大きく進展していた。1990年代に入り、朝鮮統治に関する日本政府の認識にも大きな変化が現れた。それは1993年8月の細川首相の所信表明で、日本の朝鮮統治は、侵略と植民地支配であったことを認めるものであった。1994年6月に誕生した村山政権は日本社会党、自由民主党、さきがけの3党連合政権であったが、朝鮮統治について細川首相と同様の認識を閣議で決定し、村山内閣総理大臣談話(通称「村山談話」)として発表した。以後歴代の日本政府は、「村山談話」を日本政府の正式 見解として受け継いできている。朝鮮統治に関する日本政府の上記の変化は、日韓基 本条約締結当時に日本政府の主張した合法的統治が虚構のものであったことを示した。 本条約締結当時に日本政府の主張した合法的統治が虚構のものであったことを示した。

日韓請求権協定に含まれていないもの

以上で見た通り、日本政府の立場には大きな変化があったが、韓国政府や大法院は日韓基本条約や請求権協定を否定しているわけではない。大法院は請求権協定には含まれていない問題として、冒頭に述べた判決を行っている。これまで、韓国政府は徴用工に対する未払い賃金の支払いは行っているが、徴用工とされた人々は、補償が不十分として、日本の会社や韓国政府に補償を要求し、裁判を続けてきた。しかし裁判は敗訴の連続であった。ここでは経過を詳しく書くことはできないが、曲折を経たうえ、経昨年10月に至り、初めて韓国大法院が最終的に徴用工の主張を認める判決を下した。日本政府は全て解決済みであるとして、貿易の規制を強化するなどの対抗策を取り 両国の緊張が高まることになった。

どちらの主張に説得力があるか

韓国大法院の判決は、請求権協定締結当時、日本政府は、朝鮮統治は合法的と主張していたので、不法統治に関する補償は、論理上請求権協定には含まれていないものであり、日本政府が不法統治を認めようになった現在は支払うべきであるという論理である。また、安倍政権は従来解決済みとしてきた従軍慰安婦問題で、政府の責任を認めて2015年12月、10億円支払うことで韓国政府と合意したが、これも大法院判決を支える論拠となっていると考えられる。筆者は法律の門外漢ではあるが、韓国大法院の判決の方が、安倍政府の主張より筋が通っているように思われる。

日韓両国のメディア労働者共同宣言

事実に基づいた報道で、国境を越えて平和と人権が尊重される社会を目指そう

歴史問題に端を発した日韓両国の政治対立が、さまざまな分野での交流を引き裂き、両国の距離を遠ざけている。

歴史の事実に目を背ける者に、未来は語れない。

過去の反省なしには、未来を論じることはできない。

排外的な言説や偏狭なナショナリズムが幅をきかせ、市民のかけがえのない人権や、平和、友好関係が踏みにじられることがあってはならない。いまこそ、こつこつと積み上げた事実を正しく、自由に報道していくという私たちメディア労働者の本分が問われている。

今日、日本の「マスコミ文化情報労組会議」と韓国の「全国言論労働組合」に集うメディア労働者たちは、平和と人権を守り、民主主義を支えるメディアの本来の責務をもう一度自覚して、次のように宣言する。

一、我々は今後、あらゆる報道で事実を追求するジャーナリズムの本分を守り、平和と 人権が尊重される社会を目指す。

一、平和や人権が踏みにじられた過去の過ちを繰り返すことがないよう、ナショナリズムを助長する報道には加担しない。

2019年9月28日

日本マスコミ文化情報労組会議 韓國全国言論労働組合

徴用工問題に端を発する日韓関係の悪化?

政府間でくり広げられている今回の不毛な罵り合いは、戦時中の徴用工使役に端を発するものだ。2018年10月30日、韓国大法院(日本の最高裁にあたる)は戦争中に朝鮮人を徴用した新日鐵住金に対して賠償の支払いを命じた。ここでは日本政府の反応を検証してみたい。

大法院判決に対する河野太郎外務大臣の談話(詳細は外務省HP )の要旨は次の四点。

1) 1965年締結の日韓基本条約及び関連協定により、両国とその国民の財産、権利及び利益ならびに請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決」されており、いかなる主張もできない。

2) 大法院は新日鐵住金に対する損害賠償支払いを認めたが、これは日韓請求権協定第2条に違反する。

3) 韓国には国際法違反の状態の是正を含め、適切な措置を講ずることを求める。

4) 直ちに適切な措置が講じられない場合、国際裁判も含め、あらゆる選択肢を視野に入れ、毅然とした対応を講ずる。

何が問題なのかを考えてみよう。まず、韓国大法院という司法機関が日本企業に対して下した判決について強く非難している。次に、韓国政府に対して「適切な措置」を講ずるよう求め、講じない場合はあらゆる選択肢を行使すると表明している。「適切な措置」とは、日本企業が不利益を負わずにすむ、たとえば新日鐵住金が損害賠償支払いを免れることを意味しているのは明らかであろう。単刀直入にいえば、大法院判決は日韓請求権協定第2条に違反し、日本企業に不利益をもたらすものだから、韓国政府は何とかしろ、そうでなければこちらにも考えがあるぞと、ヤクザまがいの脅しをかけたわけだ。

日韓基本条約が締結された1965年、世界は米ソ冷戦体制下であり、日韓両国は複雑な国際関係の支配下にあった。それゆえ、本条約の成立過程を再検討し、内容についても一定の留保をすべきだと思うが、ここではそのこと自体には触れないでおく。ただ、日韓請求権協定においてさえ、個人の請求権まで否定されているわけではないことを頭にとどめておくべきであろう。韓国の司法機関たる大法院は、徴用工であった個人が、自分を使役していた日本企業を訴えた民事訴訟に対し、韓国国内法に基づいて判断を下したのである。日本政府とはまったく関係がないことは明白であろう。

訴訟の当事者でない政府が、自国の企業に不利だからという理由で、他国の司法機関が下した判決を受け入れられないなどと言えるものなのか。新日鐵住金は当時の国策のもとで徴用工を使役していたのだから、日本政府は本質的に当事者であり、賠償義務を負う立場にあるが、そうとは言い出せないジレンマに陥っていることもわかる。このように、日本政府が韓国大法院判決にケチをつけることは露骨な内政干渉でしかない。

韓国政府に対して「適切な措置」を求めたというのは、行政府の力で司法府の決定を覆せということなのだろう。三権分立を理解していないからこそ、こうした物言いができるのだ。そもそも日本には三権分立など存在していないのだから、大臣が知らないのも無理ないのかもしれない。言うことを聞かなければあらゆる手段をとるぞという恫喝が、ホワイト国除外という経済報復の形ですでに実行に移されたのはご存じの通りである。

日韓基本条約をもとにした日本政府の主張は、条約を締結した1965年当時は通用していたかもしれないが、国連憲章の人権関連条項や世界人権宣言、国際人権規約などの国際人道法が世界的に受け入れられるようになった現在、もはや法的正当性を失っている。徴用工の問題は、慰安婦問題と同様、国家間の約束事ではなく、時効のない人権問題になったのである。先進国、民主主義国と呼ばれる国々はみな、過去に遡及して過ちを認め、補償し、繰りかえさないという誓いを、教育や記念碑の建立という形で表してきた。それに気づかない日本政府にこそ問題がある。 この外務大臣談話の致命的欠陥は、国際法のみならず、三権分立の概念とか外交の基本スタンス、人道主義という、近代国家が有すべき最低限の要素を理解していないところにある。私たち日本国民は、このような政府しか持つことができていない我が身を問い直すことから始めなければならないように思う。

(しみずたけと)