パレスチナ
Images from https://www.bbc.com/news/topics/c2vdnvdg6xxt
― 歴史からイスラエルを捉えなおす ―
パレスチナの昨日、今日、明日
画像をクリックしてください。PDFファイルが別ウィンドウで開きます。
※ この下のリンク先ではこの7ページの内容をスライド形式でごらんいただけます。また、「スライドノート」でスライドごとの解説を読むことができます。
画像をクリックしてください。PDFファイルが別ウィンドウで開きます。
※ このPDFファイルの文章の段落ごとに付されている番号(01、02、07 ... )はスライドの番号です。上のファイルのスライドと合わせてごらんください。
なぜパレスチナで紛争?
1.ユダヤ人はパレスチナの先住民か?
パレスチナはヨルダン川と地中海に挟まれた地域、古くはカナンと呼ばれたところである。もともとユダヤ人が住んでいた場所で、彼らが建てた古代イスラエル王国があった。国を失った彼らは離散し、ホロコーストで絶滅させられそうになったが、第二次大戦後、この故郷の地にイスラエルを再建して今に至っている。そう考えている人が多いようだが、実際はどうなのか。
パレスチナの名は「ペリシテ人の土地」に由来する。ユダヤ人の祖先はメソポタミア文明の地、ペルシャ湾に近いところに暮らしていたが、アブラハムが「カナンに行け。そこを与える」という神のお告げを聞いて移住するのが紀元前19世紀頃。しかしカナンは無人の原野ではなく、他の部族が住んでいた。
飢饉にみまわれたユダヤ人たちはエジプトに避難するが、そこで奴隷にされてしまう。エジプト脱出を率いたのが預言者モーゼであった。紀元前11世紀頃、ヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル人が古代イスラエル王国を建国。ダビデ、ソロモンという王が有名だが、彼らの存在を証明する考古学的証拠はない。旧約聖書に記されたこれらは、歴史ではなく、ユダヤの民とイスラエル建国の「物語」である。
古代イスラエル王国が滅んだ後、ここはローマ帝国の支配下に。そこに現れたのがイエスで、その教えであるキリスト教はやがて帝国の国教となり全ヨーロッパに広がっていく一方、ユダヤ人たちは追放されて離散。キリスト教社会の中で、彼らは「キリスト殺し」として差別、迫害されることになった。
2.イスラエル建国の理不尽
フランス革命で「人権宣言」が採択されたものの、ユダヤ人差別はなくならない。産業革命で大資本が必要になると、金融業などで力を得た彼らに対する新たな差別が生まれた。迫害から逃れようと、ユダヤ人たちは故郷パレスチナに自分たちの国を作ろうと考えるのだが、そこはアラブ系の人たちが住む土地だった。
第一次大戦で、オスマン帝国を切り崩そうと、英国はアラブ民族の独立を約束し、反乱を起こさせる。その一方、パレスチナにユダヤ人の民族的郷土の建設を認めることを条件に、ユダヤ財閥から戦費を調達。しかも戦勝後は英仏露間でオスマン帝国領を分割する協定を結ぶという三枚舌の外交を展開した。
パレスチナを得た英国は、アラブとの約束を反故にしながら、スエズ運河や油田などの権益をアラブ人から守るには、パレスチナにユダヤ人が多い方が好都合と考え、無制限の移民を認めた。1918年に6万人だったユダヤ人は、その後10年間で3倍になった。
第二次大戦が終わってホロコーストが明らかになり、ユダヤ人に同情が集まるようになるが、アラブの石油に依存する英国は、パレスチナへの入植を厳しく制限。移民船を追い返すのだが、漂流して沈没する船もあり、手に負えなくなった英国は1948年5月15日をもって撤退すると宣言。
国際世論の高まりと米国の支援を背景に、47年11月、国連がパレスチナの三分割を決定。当時のパレスチナの人口は約197万で、うちユダヤ人は約60万人。3分の1に過ぎないユダヤ人が全土の56.5%をとることになり、パレスチナは内乱状態に陥った。ユダヤ人の軍事組織は、エルサレムへの補給路がアラブ人に攻撃されないよう、道沿いの村を攻撃して破壊、女性や子ども、老人らも容赦なく殺戮、70万ものパレスチナ人が難民となった。これはテロ行為にほかならない。そして英軍が撤退する前日、イスラエル建国が宣言された。
もともとユダヤ人がパレスチナの先住民だったわけではなく、旧約聖書の「神から与えられた」という記述も、信仰を共有する人間同士の間でしか通用しない感情に過ぎないものである。
イスラエル占領の変遷
3.戦火に明け暮れるパレスチナ
歴史的な裏付けのない言説をもとにしたユダヤ人の願望と要求、欧米の都合によってイスラエルという国が成立した場所は、ユダヤ人のものでも欧米人のものでもなかった。そこに住む人たちの土地を奪い、追い出すという暴挙が抵抗運動を生むのはごく自然のこと、今日に至るパレスチナ紛争の発端である。シリア、レバノン、トランスヨルダン、イラク、エジプトは、イスラエルの建国宣言に対し、すぐさま侵攻、第一次中東戦争が起きた。停戦でパレスチナとイスラエルを分ける暫定的国境線が設定され、グリーンラインと呼ばれている。
エジプトのスエズ運河国有化宣言に対し、運河権益を奪還しようとする英仏の武力行使に同調したイスラエルが参戦したのが56年の第二次中東戦争。さらに67年のエジプトとの第三次中東戦争での勝利により、ヨルダン領だった東エルサレムも奪い、イスラエル領は4倍になった。73年の第四次中東戦争で、エジプトとシリアの挟撃に遭うも、イスラエルの反撃が成功するまで待った米が停戦を提案。79年、エジプトとイスラエルは米の仲介により、エジプトはイスラエルの存在を認め、イスラエルはシナイ半島を返還し、ガザ地区とヨルダン川西岸のパレスチナ人に自治を認める《キャンプ・デービッド合意》に達した。
イランでは79年にイスラム革命が起き、翌年、イラクとの間に戦争が勃発。90年のイラクによるクエート侵攻で湾岸戦争が起き、中東情勢は二転三転する。イスラエルに蚕食され続けることに危機感を抱くパレスチナの人々は自力でゲリラ活動を展開、そこから出現したのがパレスチナ解放機構(PLO)だった。この独立運動は、イスラエルの存在自体を認めない人、対話を求める穏健派、投石する民衆、ハマスのような過激派が複雑に絡み合っており、ひと括りにはできない。
オスロではイスラエルとPLOの間で秘密和平交渉が持たれ、92年、イスラエルのラビン首相とPLO、アラブ諸国との間で和平合意に至った。しかし、2001年の米国中枢同時多発テロを契機に、アフガン侵攻、イラク戦争、シリア内線と、世界はテロと対テロ戦争の渦中へ。イスラエルはパレスチナの独立運動をテロとみなし、武力行使を含む強硬姿勢に転じ、ヨルダン川西岸地区への入植と、世界中がアパルトヘイト壁と非難する分離壁の建設を進めている。
《オスロ合意》を無視するかのようなイスラエルに対し、23年10月、ハマスは大規模な奇襲攻撃と人質作戦を展開。過去に何度もガザ地区を空爆してきたイスラエルはハマス殲滅を掲げた大規模な兵力を投入、空からの攻撃に加え、地上軍を侵攻させた。ハマス戦闘員だけでなく、一般市民の犠牲も拡大、死者は3万人を超えている。食料や医療支援も滞り、ガザの人口の4分の1、50万人が飢餓状態にあるという。
南アフリカは国際司法裁判所に、今回のイスラエルの戦闘行為がジェノサイドに当たると提訴。かつてアパルトヘイトを非難した国際社会は同国に対する経済制裁を実行したが、イスラエルに対してはいつも及び腰である。なにかにつけ「ホロコーストの犠牲者」を口にするイスラエルだが、パレスチナの人々にホロコーストの責任はない。あるとすれば、それはヨーロッパ社会だ。イスラエルによって、絶対悪であったホロコーストが相対化され、今や歴史上の悪の一つに成り下がりつつあるのはなんとも皮肉なことである。
歴史を俯瞰すれば、矛を収め、譲歩すべきはイスラエル側にあるのは明らかである。民主主義とは、多数派が少数派に対し、強者が弱者に対し、どれだけ譲歩できるかで決まるものなのだ。イスラエルに自制を求めるとともに、同国の軍需産業と取引のある企業に対して関係を断つよう求める市民運動も出てきた。本当は、そうした企業内部から声がわき起こることが望ましいのだが、人間の命より自社が儲かり、結果として自分たちの給与が上がることの方が重要だとする程度の倫理観が世界を覆っているとしたら、人類の行き着く先は暗い。ひとりひとりが、今できることをしなければ手遅れになるのは間違いない。
( しみずたけと ) 2024年2月
ガザにおける聖週間(2025年4月イースター)
聖週間をお迎えになり、一年の内でも特別な日々をお過ごしのことと存じます。日頃よりパレスチナ子どものキャンペーンにお力添えを賜り、感謝を申し上げます。
ガザ地区には、極めて少ないながらもクリスチャンのコミュニティーが存在します。会衆はローマ・カトリック、ギリシャ正教、米バプティストの3つの教会で典礼・礼拝をともにしています。またイギリス聖公会(アングリカン)は「アル=アハリー・アラブ病院」を運営し、敷地内にチャペルを有しています(地元では旧名の「バプティスト病院」で通っていますが、現在は聖公会です)。13日の「棕櫚の主日」を祝う、ギリシャ正教の聖ポルフィリウス教会の会衆の様子がフェイスブックで共有されていましたので、ご案内します。
Saint Porphyrios Orthodox Church - Gaza
しかし、この教会のある街区には、上記の聖公会の病院があり、13日未明に爆撃を受けました。 「テロリストが活動しているから」というのが空爆の理由ですが、実際には直前にスマートフォンなどに「警告」を流し、医療関係者や患者を病院外に退去させて爆破していますので、「テロリスト」ではなく「病院」を壊すことが目的になっています。追い出された患者のうち、重篤だった少年が死亡したそうです。
《MiddleEastEye 4/14》 イスラエル、ガザ地区北部で唯一稼働していた病院の機能を停止さす
ここをクリックすると、《MiddleEastEye》の動画へ飛べます。
《アル・ジャジーラ 4/13速報》 イスラエル軍、アル=アハリー病院爆撃/患者に避難を強制
ここをクリックすると、《アル・ジャジーラ》の記事へ飛べます。
これにより、ガザ市やガザ地区北部を含めた地域で、100万人近い域内人口に対して医療を提供、また緊急救命ができる病院は、ひとつもなくなりました。13日にこのアル=アハリー・アラブ病院を攻撃したのは、「棕櫚の主日」に合わせたようにも感じられます。敷地内のチャペルも損壊を受けました。
お聞き及びとは思いますが、3月2日に検問所が閉鎖されて以来、いっさいの国連や諸外国、NGOなどからの援助物資は入域しておらず、商業取引による商品も止まり、1か月と2週間を過ぎた今日、飢饉が目前と言われています。電気や燃料も断たれ、地下水のくみ上げや海水の脱塩化装置が次々に停止、飲む水さえなくなりつつあります。どうやって生きているのか、理解できない状況です。サウジアラビア政府が支援した医療物資倉庫も攻撃を受け炎上、病院でつかう資材薬品がなくなりました。
3月18日に停戦が崩壊してから、ガザの人びとは「地獄にいる」と言っています。これでやっと爆撃が終わり、家は瓦礫になったけれど、これ以上家族が死に、悲惨な目に遭わずにすむ、と思っていた矢先だからです。精神的に限界に追い詰められている人がほとんどだと思われます。
状況をなかなか変えることができず、無力感を感じることが多いですが、それでもできることを行っていくしかありません。彼らの前で絶望に浸ることは許されません。現地の声を聞いていただき、状況を共有いただき、日本からも「忘れていないよ」、「こんなことをしているよ」、「みんなで祈っているよ」という声を届けていただければ幸いに存じます。
こんな聖週間を迎えるとは、ガザの、そしてパレスチナ全域のクリスチャンも、想像だにしていなかっただろうと思います。即時の停戦、命が守られ、人びとの尊厳が尊重され、平穏と静謐によって祈りが守られることを、今一度願いたいと思います。
続報(2025年5月6日)
ガザのギリシャ正教教会・聖ポロフィリウス教会での「棕櫚の主日」ミサの動画を観ていただきましたが、ひとつ説明を漏らしていました。教会の前庭に参会者が集まり、棕櫚を手にした女の子たちは額の汗を拭いたりしてちょっと不快そうにしていました。
Saint Porphyrios Orthodox Church - Gaza
この教会は5世紀の創建で、現在の建物は12世紀ころに建造されたそうですが、23年10月の爆撃でかなり破壊されてしまったようなのです。そのため教会内ではミサを執り行えず、外で挙行していた模様です。歴史遺産、遺跡もかなり破壊されましたし、墓地もわざと爆撃したり、戦車などで壊したりして侮辱を与えています。ありとあらゆる蛮行がなされています。
つい2時間ほど前(日本現在時間5/6 2:00 AM)、私たち日本からの支援で炊き出し給食を行っていたキッチンが爆撃を受けた、負傷者が出ている、という速報が現地から飛び込んできました。まだ詳細が把握できていません。ことによると最悪な事態になっている可能性もあります。
これは今に始まったことではありませんが、3月18日以降は、わざと病院を破壊したり、ジャーナリストや救急隊であることが明らかなのに、堂々と攻撃して殺したりといった事例が急増しています。しかし世界の大半は「テロリストを駆逐するまでは戦う」、「イスラエルはテロと戦っている」、「ガザ地区には十分な食料もある(と信じている)、人びとが飢えているのはテロリスト=ハマースが搾取しているからだ」という言説を信じ、「仕方がない」、「テロリストを根絶するしか人質解放の道はない」と納得してしまっています。もはや絶句するような認識の断絶がSNSを通じた情報戦で培養されています。現在、続報を捜しているところです。
北林 岳彦 パレスチナ子どものキャンペーン 2025年4月&5月
https://ccp-ngo.jp/
冬を迎えたガザ・早く停戦を!
師走の迫る11月29日、国際的な「パレスチナ連帯デー」にあたり、東京では新宿駅を囲んで4か所で集会が開催され、医療関係者やジャーナリストへの攻撃に抗議し、死者を悼み、あるいはイスラエル製兵器の導入に反対し、イスラエルと関係ある企業へのボイコットが呼び 掛けられていました。
ガザについての報道はめっきり少なくなりました。11月下旬にはパレスチナ難民救援事業機関=UNRWAの保健局長を務められている清田明宏さんが来日し、イスラエル政府が進めているUNRWAの活動規制の問題点・危険性を訴えられ政府にも支援を要請しましたが、その後シリア情勢が急に緊迫化、アメリカは政権移行期に入ってしまい、ガザ情勢はかき消されてしまいそうです。
現実には深刻な状態です。停戦は遠のき、秋口から支援物資はほとんど入らなくなりました。特に北部ではイスラエル軍の包囲が2か月以上となり、もはや人道状況を評価する以前の在り様です。街には死臭と排泄物の匂いが漂い、飢えた子どもたちはゴミの山から食べられそうなものを捜しています。冬の冷たい雨が降る空を無人偵察機(ドローン)がたくさん、四六時中飛んでいます。
国連安保理では、アメリカが5度目の停戦案への拒否権行使を行いました。しかし、なんとしても停戦がまず前提です。諦めるわけにはいきません。
日本が真に自由と平和を重んじるのであれば、率先して停戦への働きかけに努め、国連の救援活動の継続を守り、追い詰められている人びとを支える義務があります。求められていることは限りなく、手段はいくらでもあります。もちろん人道支援への寄付も大事ですが、私
たち市民も政府機関や国会に働きかける義務と権利があります。この事態は何にも増して未曾有の人道危機を終わらせ、ひとつの民族の自由と尊厳を守る試金石なのです。
北林 岳彦 パレスチナ子どものキャンペーン 2024年12月
https://ccp-ngo.jp/
DVDの紹介


























