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殺人犯として逮捕された兄を救うため、高名な弁護士を訪ねた女。弁護士は断ったものの、犯行状況から犯人は左利きではないかと疑う。無罪を訴えながら死刑になった兄。東京のバーで働き始めた女は弁護士を恨み、ある殺害現場に偶然居合わせたことから、彼を陥れることに…。松本清張の同名小説を橋本忍が脚色、山田洋次が監督した。倍賞千恵子の表情を変えない演技が復讐心を強調、見ている方をゾッとさせる。
拘置所にある死刑場。そこで在日朝鮮人の死刑執行がおこなわれた。目隠しをされ、首に絞め縄をかけられ、踏み板が外される。12~13分で脈拍が停止し、法務技官によって死亡が確認され、すべてが終わる…のが普通だが、そうでない事態が起きた。死刑制度、民族問題、戦争責任等の矛盾を、大胆な発想とブラック・ユーモアで抉り出した大島渚の代表作である。
殺人容疑で逮捕された犯人には事件当時の記憶がない。裁判が始まり、弁護側は心神喪失を主張。精神鑑定をおこなった教授は被告人を多重人格と認定するが、助手は詐病を疑う。「心神喪失者の行為は、罰しない」という刑法第39条の規定をめぐる、犯人と鑑定人が虚々実々の応酬を展開する心理劇。
1994年6月27日夜、何者かが松本市の住宅街で毒ガスをまいた。「松本サリン事件」である。第一通報者が物置の農薬で作ったとされ、警察とメディアが一体となって犯人に仕立てあげられていく。農薬からサリン…科学的にあり得ないことが一人歩きする。自白を強要する刑事。無言や悪態をつく電話が鳴り止まない。裁判が始まる前から犯人と決めつける社会の出現。8ヶ月後に「地下鉄サリン事件」が起き、カルト教団の犯行であることがわかるのだが、もしこの事件が起きなかったら…。自白偏重の司法、裏付けを取らないマス・メディア、大衆の歪んだ正義心。社会派ドラマを得意とする熊井啓の力作だ。
ラッシュの電車に乗った一人のフリーターが、女子中学生から痴漢行為を問いただされる。駅員によって駅事務所へ連れて行かれ、警察へ。警察署、検察庁での取り調べで一貫して「やっていない」と訴え続けるが…。具体的な証拠もないまま起訴され、法廷で全面的に争うことになるのだが…。刑事手続きにおける推定無罪の原則はどうなっているのか。周防正行が現代社会に問いかける。
子連れの未亡人と結婚することになった独身の中年刑務官。しかし、連れ子とは未だ打ち解けていない。挙式が迫ってきた。新婚旅行を活用して…と思ったが、有給休暇が残っていない。ちょうどその時、死刑執行が明後日におこなわれることになった。執行時の「支え役」には一週間の特別休暇が与えられる。ふつうは誰も引き受けたがらないこの役目に、彼は自ら名乗りをあげるのだが…。死刑に立ち会う一人の刑務官を通して、命の重さと人が生きていくことの意味を静かに問う人間ドラマ。
ともに司法を学んだ三人。永瀬は検事に、死刑廃止論者の大伴は弁護士になったが、司法試験に合格しながら、水戸だけは法曹界に進まず法学部講師になった。ある日、大伴の妻が殺害される。容疑者は、大伴が担当した裁判に恨みを持つ鯖江。死刑廃止論者だったはずの大伴は鯖江に対し死刑を求める。水戸は弁護士になることを決意するが、鯖江の弁護を担当することに…。
ジャーナリストの夢破れ、流れ着いた町工場。青年はそこで一人の男と出会った。次第に芽生える二人の間の友情。ある日、近くの町で子どもが殺害される事件が起きた。かつて日本中を震撼させた凶悪事件を調べたところ、犯人は出所しており、男と重なる面影を見出す。
昭和23年、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店に、東京都衛生課員を名乗る中年の男が現れた。男は「近くで赤痢が発生した」と告げ、行員16人に予防薬と称して青酸化合物を飲ませ、現金と証券を奪って逃走。新聞記者の武井は、青酸化合物が七三一部隊により作られたことを知って取材を始めるが、GHQから追及をやめるよう要請される。警察は画家の平沢貞通を事件の犯人として逮捕。いったい、なぜ?
七三一部隊は、中国で生物科学兵器による人体実験をしていたが、戦後、そのデータを米軍に引き渡すことで戦争犯罪を免責された。実際に起きた毒物殺人事件をドキュメンタリータッチで描いた熊井啓の監督デビュー作である。
GHQ占領期の〝闇〟に切り込んだノンフィクションの大作「日本の黒い霧」を書いた松本清張。そのきっかけとなったのが帝銀事件だった。逮捕された平沢貞通には、犯人という明確な証拠や動機はなく、無罪を主張し続けるも死刑が確定。 しかし清張は、警察が当初「真犯人は軍関係者」としながら、捜査線とはかけ離れた平沢に向かっていったことを強く疑問視する―。 清張の死から30年。裁判や捜査資料、関係者を徹底調査して、真相を追った清張の“知られざる足跡”を独自取材し、その闘いをドラマ化する。《下記NHKサイトより引用》
NHKのサイトへ:File.09松本清張と帝銀事件ショーシャンク刑務所送りとなった銀行家アンディ。妻とその愛人の不貞現場を目撃し、射殺した罪なのだが…。すさんだ受刑者らの心をつかむ彼独特の魅力。20年の歳月が流れた。冤罪を晴らす証拠を得るも、彼の会計能力を利用してきた所長は手放したくない一心で…。スティーヴン・キングが実話をもとに書いた短編小説『刑務所のリタ・ヘイワース』を下敷きにした傑作。
ニュー・オリンズの「希望の家」で働く修道女ヘレン。ある死刑囚から手紙を受け取り、彼に接見する。若夫婦を殺した罪なのだが、相棒は無期懲役、自分だけが死刑になる事に憤りを感じている。ヘレンは弁護士の協力で特赦を得ようとするが、うまくいかなかった。残るは州知事への直訴だけ。犯罪者ではあっても、一人の人間。そう考えるヘレンは、被害者の両親たちからは敵と見なされ、非難を浴びる。アドヴァイザーとして会い、話をしていく過程で二人の心はつながっていくのだが、ついに処刑の日が訪れた。死刑制度の是非を、淡々とした語り口で問いかける。
無実の罪によって30年間も獄中生活を強いられた実在のボクサー、ルービン・カーター(リング上でハリケーンと呼ばれた)の自由を取り戻す闘い。獄中で執筆した自伝を読んだ少年レズラが、背後にある人種偏見を見抜き、釈放運動に立ち上がる。背後に流れるのは、面会して冤罪であることを確証したボブ・ディランが作詞作曲した「ハリケーン」。ルービン・カーター役のデンゼル・ワシントンが見事。アカデミー賞主演男優賞にノミネートされたが、彼が同賞を受賞したのは『トレーニング デイ』。悪役に徹した作品での受賞に違和感を覚えるのは私だけだろうか。
ボブ・ディランの「ハリケーン」を紹介しています。歌詞がごらんいただけます。9jブログの【音楽】カテゴリーの記事へ跳びます。
ポールはジョージア州コールド・マウンテン刑務所の看守。そこに巨体の黒人死刑囚コフィーが送られてきた。少女二人をレイプ殺害した罪である。ところが彼は、大きな体には似つかわしくない臆病で物静かな性格。ある日、重度の尿道炎を患っていたポールが勤務中に激痛で倒れるが、コフィーの不思議な力で治ってしまう。
アーカンソー州ウエスト・メンフィスの田舎町で三人の子どもの無惨な死体が発見された。この殺人事件は全米の注目を集め、三人の少年が逮捕される。手口が猟奇的であったことから、悪魔的儀式に興味を持つ者の仕業だと考えられ、地域の問題児とその仲間たちが容疑者として浮上したのだった。しかし、ひとりの私立探偵が警察の捜査に疑問を抱き、独自調査を始める。真犯人は別にいるのではないかと苛まれる被害に遭った子どもの母親も…。実際に起きた「ウエスト・メンフィス3」と呼ばれる事件をもとに、マーラ・レヴァリットがノンフィクション『悪魔の結び目』を執筆し、それを映画化したもの。
1996年、ここアトランタは五輪大会開催中。不器用だが実直なリチャード・ジュエルは年老いた母との二人暮らし。警備員の彼は、多くの人でにぎわうイベント会場で不審なパックを見つけた。それは爆弾だった。大惨事を未然に防いだ彼を、メディアは英雄として持ち上げるが、FBIは第一発見者として疑い始める。そのことを、地元メディアが実名で報道したのをきっかけに、報道は過熱、全国民がリチャードを激しくバッシングする。息子の無実を信じる母親とワトソン弁護士だけが懸命に支えていくのだが…。捜査機関とメディア、大衆の暴走によって冤罪が生み出されていく恐怖が描かれる。
若手弁護士のブライアン。証拠もないまま、ウォルター・マクミリアンという黒人男性に死刑判決が下ったというニュースに接し、正義感あふれる彼は、何が何でもその冤罪を晴らしたい思いから弁護を買って出る。そこは人種差別の意識が根強く残っている南部のアラバマ州。ブライアンの前に立ちはだかるのは、差別と偏見に歪められた司法制度そのものだった。法と社会の闇に挑むことになるブライアンは…。
ドイツ占領下のリヨン。一人のレジスタンスが逮捕された。ドイツ軍の手によって入れられた監獄は脱走不可能といわれていた。それでも彼は生き延びることを決意し、脱獄のチャンスを待つのだが…。
第一次大戦後のボストン郊外の靴工場で強盗殺人事件が起きた。捕まったのは靴職人のニコラ・サッコと魚の行商人バルトロメオ・ヴァンゼッティ。物的証拠もないまま、二人に電気椅子による死刑判決が下る。背景にあるのは、彼らが権力の主流であるWASPから外れたイタリア系移民、労働者階級、カトリック、アナーキスト、徴兵拒否の前歴だ。つまり民族、階級(職業)、宗教、政治信条など、あらゆる差別が集約された米国史の汚点ないし恥部である「サッコ・ヴァンゼッティ事件」。スケープゴートとして闇に葬られる二人の男の姿を力強く描き出した傑作。背後に流れるのはエンニオ・モリコーネによる音楽。主題歌を歌うのはジョーン・バエズである。
1960年代の米ワシントン州。女手ひとつで息子のジーンを育てながら工場で働くセルマ。コミュニティの仲間とミュージカルに取り組んでいるが、遺伝性の病気のために視力を失いつつあった。東側共産圏のチェコスロヴァキアからの移民の彼女を理解してくれる人もいれば、そうでない人も…。彼女は、ジーンが同じ運命をたどることのないよう、手術費用を貯めようと奮闘するのだが、工場を解雇されてしまい、貯めていたお金は信頼していた人に盗まれていた…。
シングル・マザー、移民、しかも共産圏からの…。今でこそリベラルなイメージのワシントン州だが、当時はヨソ者、自分たちとは異なる価値観の人間を受け入れるような土地ではなかった。主人公を演ずる歌手のビョークがすばらしい。
ミラノのフォンターナ広場の爆破事件で、死者17人、負傷者88人の大惨事が起きた。左翼勢力の犯行と考えた警察は、無政府主義者たちを次々と連行。その中にはリーダー格のピネッリもいた。現場の指揮を任されたカラブレージ警視は、取り調べの過程で、彼が冷静で信頼できる人間であることに気づき、上層部とは反対に無実の心証を強くする。ところが、カラブレージが席を外したわずかな間にピネッリは窓から転落。警察当局は自殺と発表するが、世間もカラブレージも、その発表を信じることができない。捜査は混迷を極め、ついに事件は迷宮入り。マルコ・トゥリオ・ジョルダーナは、自ら徹底的な調査を行い、事件の深い闇に迫った社会派ドラマ。
社会主義者たちがたまり場にしている有楽町のおでん屋。金子文子はそこで働いていた。「犬ころ」という詩を愛吟していた彼女は、作者である朝鮮人アナキスト朴烈に出会い、恋人として、また同志として行動を共にするようになる。やがて関東大震災が起き、社会は大混乱。二人は他の朝鮮人や社会主義者らとともに検挙され、裁判に…。日本政府によってスケープゴートにされても、弾圧に屈せず、国家権力に敢然と立ち向かった二人の気高き生き様。
2008年、韓国司法界に「国民参与裁判」という名の陪審員制度が導入された。その最初のケースで、陪審員として選ばれた八人の一般市民が、証拠も証言も揃い、有罪が確実視されていた殺人事件を、裁判官とともに審議する。全国民が注目する中、第八陪審員となった青年ナムの繰り返す素朴な疑問によって、裁判の先行きは次第に不透明感を増していくのだった。すべてが手探りの中で進むことになる裁判の行方をスリリングに描いた法廷サスペンス。
トルコを旅行中のアメリカ人旅行者ビリー・ヘイズが逮捕された。麻薬不法所持。恐怖と寂寥感にさいなまれるが、出会った二人のアメリカ人に励まされ、駆けつけた父親や弁護士、アメリカ領事館の助けを借りて裁判に挑むものの、判決は四年の実刑。暴力が横行する地獄のような毎日を耐えしのび、出所目前となったとき、アメリカと中東諸国との国際関係が悪化し、彼は取り引きの材料に。刑期が30年に延長されてしまうのだった。ついに脱獄を決意するビリー。驚くべき実話をもとにした、オリヴァー・ストーン脚本、アラン・パーカー監督による社会派ドラマの傑作
レビッビアは重犯罪の受刑者を収容する、イタリアのローマ郊外にある刑務所。ここで毎年行われている演劇実習プログラムは、演目を囚人みずからが演じ、一般の観客を相手に、所内の劇場で披露される。舞台演出家のファビオ・カヴァッリが演目を発表する。今年は『ジュリアス・シーザー』だ。さっそく始まる配役のオーディション。役者は10年以上の長期刑や終身刑の重犯罪者ばかりだ。刑務所内のいたるところで台詞の練習が繰りひろげられる。日常に虚実が入り混じり、囚人と俳優が同化、刑務所全体がローマ帝国であるかのような錯覚を抱かせる。タヴィアーニ兄弟とのコラボにより、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したい異色作。