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子どもの頃、家にポータブル型レコード・プレーヤーがあった。メーカーはコロンビアだったと思う。ポータブルと言っても、まだプラスチックス素材は少なく、本体も蓋も金属製で重かったことを覚えている。父が買ってくるソノシートをこのプレーヤーで聴くのが楽しみだった。まだ日本が貧しかった時代、一部の人しか買うことができなかった高価なLPレコードの代用品として、ソノシートは大衆に音楽を与えてくれる重要なメディアだったのではなかろうか。
五歳になる少し前にインドから帰国した私は、日本語を話すことも聴いて理解することもできなかった。帰国子女という言葉もなければ、そうした子どもをサポートする社会の仕組みもなかった。日本語を聴く機会を増やす手段、わが家ではそれがプレーヤーとソノシートだったのである。自助努力と言っても、努力したのは私よりも親の方だったろう。童謡のソノシートにあったのが〈汽車ポッポ〉である。誰が歌っていたのか、今となっては確かめようがない。
〈汽車ポッポ〉
作詞:富原薫 作曲:草川信
1.汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュポッポ
ぼくらを のせて
シュッポ シュッポ シュポッポ
スピード スピード 窓のそと
畑も とぶとぶ 家も とぶ
走れ 走れ 走れ
鉄橋だ 鉄橋だ たのしいな
2.汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュポッポ
汽笛をならし
シュッポ シュッポ シュポッポ
ゆかいだ ゆかいだ いいながめ
野原だ 林だ ほら 山だ
走れ 走れ 走れ
トンネルだ トンネルだ うれしいな
3.汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュポッポ
煙を はいて
シュッポ シュッポ シュポッポ
行こうよ 行こうよ どこまでも
明るい 希望が まっている
走れ 走れ 走れ
がんばって がんばって 走れよ
この〈汽車ポッポ」という歌、昭和世代なら子どもの頃に誰もが歌ったと思うのだが、今日ではどうであろうか。蒸気機関車を見かけることが日常から消え、歌詞から情景をイメージできなくても仕方ない。しかし、戦争を記憶している人たちであれば、これとは違う歌詞で歌ったことを覚えているだろう。この歌は、1938年、童謡〈兵隊さんの汽車〉として世に出た。汽車で出征する兵士を見送る内容である。
〈兵隊さんの汽車〉
作詞:富原薫 作曲:草川信
(一)
汽車汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて
シュッポ シュッポ シュッポッポウ
僕等も手に手に 日の丸の
旗を振り振り 送りませう
萬歳 萬歳 萬歳
兵隊さん 兵隊さん 萬々歳
(二)
汽車 汽車 來る 來る
シュッポ シュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて
シュッポ シュッポ シュッポッポウ
窓からヒラヒラ 日の丸の
旗を振ってく 兵隊さん
萬歳 萬歳 萬歳
兵隊さん 兵隊さん 萬々歳
(三)
汽車 汽車 行く 行く
シュッポ シュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて
シュッポ シュッポ シュッポッポウ
まだまだヒラヒラ 日の丸の
旗が見えるよ 汽車の窓
萬歳 萬歳 萬歳
兵隊さん 兵隊さん 萬々歳
作詞をした富原薫(1905~75年)は、当時、静岡県駿東郡高根村(現在の御殿場市)の高根村国民学校で教員をしていた。子どもたちを連れ、陸軍の演習場から戦地へ向かう兵士を乗せた列車が御殿場駅を出発するのを幾度となく見送ったのであろう。その光景から作られたのが〈兵隊さんの汽車〉である。
黒柳徹子は、1961年生まれのシンガーソングライター合田道人をゲストとして迎えた《徹子の部屋》の中で、子ども時代に自分が何度も自由が丘の駅で出征兵士を見送ったと語っている。なんでも、旗を振りに行くとスルメを一枚もらえたのだとか。食糧事情が悪化していく中、スルメは子どもたちにとってまたとないご褒美だったと言う。子どもたちは、美味しいスルメを目当てに万歳を叫んだわけだ。こうして国家は、何もわからない子どもたちまでも戦争に巻き込んでいったのである。
万歳三唱の叫びで送られた兵士たちはどうだったのか。このような子どもらまでが見送ってくれる。だから自分もそれに応えなければならない。そう思ったのだろうか。年長の子どもらは、自分もあのような歓呼に送られたい、それが格好いいことだと思ったかもしれない。日本は神国である。戦争に負けるなどとは、どの子も思っていなかった。大人が「勝つ」と言うのだから、子どもらがそう信じても不思議ではない。まして「戦争はいけない」などと言う者はいなかった。たとえ思ったとしても、口に出すことなどできなかった。教育や思想統制の“成果”である。相互監視と密告の奨励が隅々まで行き渡った社会の恐ろしさを感ぜずにはいられない。
政府を批判するのは非国民であり、国賊である。アカ、主義者と呼ばれ、スパイ扱いされる。隣近所の人たち、職場や学校の友人、監視の目はそこここにあった。どうすれば自分が非国民でないことを証明できるか。なににつけ、「○○である」ことを示すのは容易だが、「○○でない」ことを示すのは困難だ。いちばん簡単なのは、誰かを非国民だと告発することである。「非国民探しをする自分は非国民でない証拠…」ということである。
「日の丸」を掲げない、「君が代」を歌わない、欧米の書物を読んだり音楽を聴いたりする、外国人の知り合いがいる…。そういう人が怪しい。軍機保護法違反や不敬罪が頭をよぎるようになり、疑心暗鬼になって誰も信用できない。相互監視、裏切りと密告の社会になっていった。今風に言えば、「君が代」斉唱時に起立しない人間の処分だとか、国旗損壊罪やスパイ防止法を制定しようとする動きだろうか。戦前・戦中の思想がゾンビのごとく息を吹き返しつつある。
戦局が厳しくなった1943年、関東児童唱歌コンクールが開かれた。当時八歳だった川田正子(1934~2006年)は〈兵隊さんの汽車〉を歌い、それが評価されて童謡歌手としてデビューした。この歌に背中を押されて出征した兵士がどれくらいいたのかはわからない。しかし黒柳徹子は、「戦地に赴いた方たちはどうなったのでしょう。無事に帰ってきたのでしょうか。あの時のことを思うと、今も胸が痛みます」と心情を吐露している。
戦後すぐの1945年の大晦日、今日の《紅白歌合戦》の前身である《紅白音楽試合》がNHKラジオで放送されることになった。多くの人が知るという理由で、この歌も曲目に選ばれたのだが、出征兵士を鼓舞するような歌をGHQが許可するはずがない。元の歌詞の改作を依頼された富原薫自身の手によって、今日の〈汽車ポッポ〉となったのである。
そう、われわれが知る〈汽車ポッポ〉もまた、〈雷撃隊出動の歌〉を元歌とする〈穂高よさらば〉と同様、軍歌の替え歌だったのだ。無邪気に歌っていた子ども時代ならともかく、大人になってなお知らないままというのは、ちとマズかろう。そんな反省をしながら聴きなおしたい。なお、富原薫が子どもらと一緒に出征兵士を見送りに行った御殿場だが、陸軍の演習場は陸上自衛隊の東富士演習場として、今も戦争の準備に余念がない。
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兵隊さんの汽車 幻の戦時童謡

■収録曲(歌手)
1.広瀬中佐(小坂勝也)
2.僕は軍人(山崎一郎、吉田玲子)
3.軍馬の唄(望月誠)
4.僕等の海軍(望月誠、永岡志津子、河村順子、吉田玲子)
5.おかへりなさい神風(吉田玲子、佐々木陽子)
6.兵隊さん御苦労さん(齋藤達雄、吉田玲子)
7.兵隊さんの汽車(齋藤達雄、大久保澄子)
8.敵の夜襲(草深清)
9.をぢさんありがたう(齋藤達雄)
10.愛国行進曲(齋藤達雄、大久保澄子、矢島英子、佐々木陽子)
11.愛馬進軍歌(京華健児団)
12.紀元二千六百年(日本ポリドール児童合唱団)
13.長期建設の歌(日本ポリドール児童合唱団)
14.兵隊さんのドタ靴(矢田稔)
15.興亜の鐘(矢田稔、矢島英子、合唱付)
16.いくさのお話(三丁目文夫、矢島英子)
17.空の宮様:久邇宮朝融王殿下を讃へ奉る歌(矢田稔、勝部みどり、日本ポリドール児童合唱団)
18.僕等の力:貯蓄の進軍(矢田稔、矢島英子、日本ポリドール児童合唱団)
19.兵たいさん (児童独唱)
20.艦隊勤務「月月火水木金金」(岡村松子、三部合唱 みすゞ童謡音楽団児童)
21.仏印からきたゴムマリさん(渡辺佐和子、佐藤敏子、孫福興子)
22.今年の燕(みすゞ童謡音楽団、東声会合唱団)
23.空の神様(藤井多恵子、みすゞ童謡音楽団)
(しみずたけと) 2026.7.29
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「汽車ポッポ」と「兵隊さんの汽車」の話、興味深く読ませて頂きました。
1938年に出た出征兵士を送る歌だったのですね、知りませんでした。
「穂高よさらば」の記事も覚えています。よくお調べになりましたね。
1936年の「椰子の実」や1937年の「春の唄」はまだ問題にならなかったのでしょう。
私の生まれた1941年、かきねのかきねの曲がり角「たきび」は、
12月に幼児番組で発表されるも、この非常時にたき火とは何事かと放送中止に
なったそうです。1942年9月に高峰秀子の歌でレコードが発売された
「森の水車」は、時代に合わないとして4日後に発禁処分になったそうです。
もう二度とこのような時代に戻してはなりません。
せっかく書いたけど、送ろうとしたら一瞬で消えてしまった。
また後でやり直します。これは練習。